大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和61年(オ)1493号 判決

上告人

大橋段

大橋達

大橋靜子

右三名訴訟代理人弁護士

大島治一郎

入江五郎

高野国雄

被上告人

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

加藤和夫

外一四名

被上告人

小樽市

右代表者市長

新谷昌明

右訴訟代理人弁護士

水原清之

右訴訟復代理人弁護士

有倉貴彦

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人大島治一郎、同入江五郎、同高野国雄の上告理由第一点について

一上告人らの被上告人国に対する主位的請求(その一)及び被上告人小樽市に対する請求は、昭和四三年四月八日小樽市保健所において、予防接種法(昭和四五年法律第一一一号による改正前のもの。以下「法」という。)に基づく痘そうの予防接種(以下「予防接種」という。)が実施された際、同保健所予防課長の上告人大橋段に対する予防接種(以下「本件接種」という。)に起因して、同上告人が下半身麻痺による運動障害及び知能障害の後遺障害を残すに至ったが、これは、国の小樽市長に対する委任により国の公権力の行使に当たる公務員として本件接種を実施した小樽市保健所予防課長が十分な予診をしなかった過失又は同人を補助者として本件接種を実施した同保健所長が右の十分な予診を行うことができるように措置しなかった過失によって生じたものであるとして、予防接種の実施事務を小樽市長に委任した国に対しては国家賠償法一条一項の規定に基づき、同保健所予防課長及び同保健所長の給与負担者である小樽市に対しては国家賠償法三条一項の規定に基づき、同上告人並びにその両親である上告人大橋達及び同大橋靜子がその損害の賠償を請求するものである。

二原審は、次のとおり、事実を確定したうえ、上告人らの右各請求を棄却した。

1  予防接種後一定の期間を置いて、中枢神経系に対する重篤な副反応が引き起こされる広義の種痘後脳炎の発生機序については、いまだ十分に解明されていないが、上告人段の本件後遺障害の発生に至る臨床経過は広義の種痘後脳炎のうちの脊髄炎型に合致するものである。そして、本件接種以外に本件後遺障害の原因となる事由は認め難く、本件接種が同上告人の本件後遺障害を発生させたことにつき経験則上高度の蓋然性が存すると優に認められるべきであるから、同上告人が現在呈している本件後遺障害は、その全体にわたり、本件接種に起因するものと認められる。

2  本件接種の実施される五日前である昭和四三年四月三日、上告人段は摂氏三八度八分の発熱をし、咽頭が発赤したため、診療した医師は感冒と診断して、解熱剤スルピリンを含む投薬をした。同上告人の体温は同月四日には摂氏三八度五分、同月五日には摂氏三七度三分に下がり、同月六、七の両日には摂氏三七度以下となった。なお、同上告人は、四日及び五日の右両日に右解熱剤を含む注射を受けたほか、同月七日まで右解熱剤を含む薬剤を服用した。そして、本件接種当日である同月八日の朝も同上告人に発熱はなかった。

右によれば、同上告人の症状は咽頭炎であり、遅くとも同月六日には右咽頭炎は治癒していたものであり、右解熱剤の効果の持続時間に照らして、本件接種当日である同月八日に発熱がなかったことは右解熱剤の効果によるものではない。

3  法一五条の委任により定められた予防接種実施規則(昭和四五年厚生省令第四四号による改正前のもの)四条は、予防接種の禁忌者を掲げ、これに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を実施してはならないと定めているが、上告人段の症状に照らせば、本件接種当日の同上告人は、一時的にかかった咽頭炎が既に治癒した状態にあったものであり、同条の掲げる禁忌者には該当しない。

4  以上によれば、上告人段は、本件接種当日には予防接種を行うに適した者であったということができ、仮に予診に不十分な点があったとしても、同上告人の健康状態等に照らし、結局、予防接種を行うことは正当であったものであるから、右の予診の不十分な点と本件後遺障害とが結びつくことはあり得ない。

三原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は次のとおりである。

すなわち、原審の理由とするところは、要するに、本件接種によって上告人段の本件被害が生じたものであるが、本件接種前の同上告人の症状は咽頭炎であり、遅くとも同月六日には解熱していたから、右咽頭炎は治癒していたものであり、本件接種当日である同月八日に発熱がなかったから、本件接種当時において同上告人は禁忌者に該当せず、したがって、予診に不十分な点があったとしても、本件接種の実施は正当であったとするものである。

しかしながら、予防接種によって重篤な後遺障害が発生する原因としては、被接種者が禁忌者に該当していたこと又は被接種者が後遺障害を発生しやすい個人的素因を有していたことが考えられるところ、禁忌者として掲げられた事由は一般通常人がなり得る病的状態、比較的多く見られる疾患又はアレルギー体質等であり、ある個人が禁忌者に該当する可能性は右の個人的素因を有する可能性よりもはるかに大きいものというべきであるから、予防接種によって右後遺障害が発生した場合には、当該被接種者が禁忌者に該当していたことによって右後遺障害が発生した高度の蓋然性があると考えられる。したがって、予防接種によって右後遺障害が発生した場合には、禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当すると認められる事由を発見することができなかったこと、被接種者が右個人的素因を有していたこと等の特段の事情が認められない限り、被接種者は禁忌者に該当していたと推定するのが相当である。

この点を本件について見るに、前記事実関係によれば、上告人段が現在呈している後遺障害は、その全体にわたり、本件接種に起因するものと認められるというのであるが、原審は必要な予診を尽くしたかどうかを審理せず、上告人段が前記個人的素因を有していたと認定するものでもない。そして、咽頭炎とは咽頭部に炎症を生じているという状態を示す症状名であって、咽頭炎が治癒したとは咽頭部の炎症が消滅したことをいうにすぎず、その原因となった疾患の治癒を示すものでもなければ、他の疾患にり患していないことを意味するものでもなく、原審が咽頭炎の治癒を認定した根拠は、要するに、上告人段の解熱の経過にすぎず、また、記録によれば、本件接種当日において同上告人に発熱がなかったとの事実認定の基礎とされた上告人靜子の供述も検温の結果に基づくものではなく、同上告人の観察に基づく判断にすぎないのである。そうであるとすると、原審認定事実によっては、いまだ同上告人が禁忌者に該当していなかったと断定することはできない。

したがって、必要な予診を尽くしたかどうか等の点について審理することなく、本件接種当時の上告人段が予防接種に適した状態にあったとして、接種実施者の過失に関する上告人らの主張を直ちに排斥した原審の判断には審理不尽の違法があるというべきである。

四以上によれば、その余の論旨を判断するまでもなく、右違法が判決に影響することは明らかであるから、原判決は破棄を免れず、予防接種を実施した医師が禁忌者を識別するために必要とされる予診を尽くしたかどうか等を更に審理させる必要があるので、本件を原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平)

上告代理人大島治一郎、同入江五郎、同高野国雄の上告理由

第一点、原判決は、痘そうの予防接種(種痘)における医師の予診義務について昭和三三年九月一七日厚生省令第二七号予防接種実施規則昭和三四年一月二一日衛発第三二号各都道府県知事あて厚生省公衆衛生局長通達「予防接種実施要領」に違反し、その解釈適用を誤り、更に最高裁判所(昭和五〇年(オ)第一四〇号、同五一年九月三〇日第一小法廷)判決に違反する。

一、原判決も上告人段について、本件種痘と段の後遺障害との因果関係については第一審判決を引用し(原判決理由一、)これを認める。

第一審判決によると「本件種痘が段の前記各後遺障害を惹起したことにつき経験則上高度の蓋然性が存すると優に認められるというべきであるから、原告段が現在呈している運動障害及び知能障害は、その全体にわたり、本件種痘に起因するものと認めるのが相当である。」と認定する。

二、(一)、しかし原判決は、「段は本件種痘の当日である四月八日には種痘を行うに適応した者であったということができ、したがって段に対し種痘を行ってよいとした小川の判定に誤りはなかったということができる。また予診は、種痘を行ってよいか、回避すべきかの判定(結論)に到達するために、その過程において行われるものであるから、本件において、仮に予診に不充分な点があったとしても、前記認定のように、段の健康状態等に照らし、結局種痘を行うことは正当であったものであるから右予診の不充分な点と副反応の発生とが結びつくことはありえず、結局両者の間には因果関係があるというべきである」として国及び種痘担当医小川の責任を否定し、小樽市についても「小川の予診の当否は問題とする余地がない」としてその予診制度上の責任を否定する。

(二)、右原判決の認定はつぎの三点を基本とするものと思われるので以下これについて上告人らの上告理由を述べる。

(1) 段は四月八日の種痘当日は種痘を行うに適応したものであった。

(2) 予診は段のような健康状態のものにはそれに不充分な点があっても、結局結果的には種痘を実施することになるから種痘を実施したことは正当であった。

(3) 従って、段に種痘による副反応として後遺障害が発生しても、予診の不充分な点と右副反応の発生との間に因果関係はない。

三、(一)、段は四月八日の本件種痘当日、種痘を行うに適応したものであったか。

(イ) 原判決が種痘適応者と認定した理由は段は昭和四三年四月三日感冒で発熱(摂氏三八度八分)したが、四月六日には体温は三七度以下で、機嫌は良く、治癒したものと認められ、これは予防接種実施規則四条所定の禁忌事項に該当せず、又禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由がある場合に、あたるとは認め難いから本件種痘当日は種痘適応者であったとする。

(ロ) しかし、原判決は段に対し、本件種痘が原因で、現在下半身麻痺の、運動障害及び知能障害の後遺症を有していることを認めているのであり、これは段の健康状態が種痘時に種痘をするに不適当な状態(不適当であると認めるべき内容の詳細は(二)以下に述べる)があったからかかる副反応が発生したとみるべきが経験則上当然のことであり、これを無視して段に禁忌該当を疑うに足りる相当な事由がある場合にあたらないとは到底いえないものであり、まして種痘適応者などといえるものではない。

(ハ) 上告人段が種痘適応者であったという主張は、第一審、原審を通じて被上告人らの主張には表れていない(被上告人らは段に禁忌該当はなかったと主張しているにすぎない。禁忌該当事由がないことと、種痘適応者であることは異なる。)。

これは原審判決が被上告人らの原審においての主張を飛びこえて主張しない事実を認定したものである(弁論主義の違反)。

(ニ) 原判決は、四月八日(本件種痘当日)の朝も上告人段は熱はなかったと認定し、四月六日には治癒したものと認められ、種痘を行うに適応してたものであったと認定した。

しかし、四月八日には母親靜子も体温測定はしていない。

接種直線の予診の際にも体温測定は行われていない。靜子は四月七日朝段の体温を測定したところ摂氏三七度以下であり、四月八日には風邪の症状や熱がない様子だったと供述しているに過ぎない。

段は昭和四二年一〇月六日生れで当時生後六ヵ月の幼児である。昭和四三年二月一九日と同年四月三日に感冒にかかっており四月七日まで服薬していた。

四月八日に外見上風邪の症状や熱がないようすであったとしても前の風邪を引き返していたこともあり得るし、前の風邪ウィルスの影響は当然残存しているものとみなければならない。

接種を担当した小川医師もこのような事実がわかったら詳しい問診、視診、聴打診をして場合によったら種痘を中止する旨を供述している(第一審昭和五六年一二月四日小川本人調書一四〇頁、一四一頁)。

体温測定もしないで熱がなかったとはいえないし、仮に風邪がなおっていたとしてもなおったばかりの幼児が種痘に適応したものとは到底いえない。

(ホ) 感冒が外見的には治癒したようにみえてもインフルエンザウィルスによる抗原抗体反応は抗進中であり免疫学的には少なくとも熱が引いたあとも二、三日間は危険な期間であるとされる。

段のように感冒が外見的に治癒したように見え、母親靜子が風邪の症状や熱がないようにみえたとしても所詮素人判断であり、(靜子が過去に准看護婦の資格を有していたとしても本件種痘時には既に退職後相当期間を経過しており、育児に専念する母親であり正確な医学的判断ができるとは思われない)、段に詳しい問診、視診、聴打診等が行われ、場合によっては精密検診を得て異状が認められない場合に始めて種痘をしても差し支えないと判断できたもので、これらを一切行わず不問にしたままで種痘前日までに風邪の熱が引いていたから種痘適応者であったと認定するのは原判決の誤った独断である。

(二)、予診は、段のような健康状態の者にはそれに不充分な点があっても、結局結果的には種痘を実施することになるから、種痘を実施したことは正当な行為であったか。

第一、(イ) 最高裁判所昭和五一年九月三〇日第一小法廷判決(昭和五〇年(オ)第一四〇号)は、「インフルエンザ予防接種は接種対象者の健康状態、罹患している疾病、その他身体的条件又は体質的素因により死亡、脳炎等重大な結果をもたらす異状な副反応を起すこともありえるから、これを実施する医師は右のような危険を回避するため、慎重に予診を行い、かつ、当該接種対象者につき接種が必要か否かを慎重に判断し、実施規則四条所定の禁忌者を的確に識別すべき義務がある。」とし、「予防接種を実施する医師としては、問診するにあたって、接種対象者又はその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異状の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち実施規則四条所定の症状、疾病、体質的素因の有無及びそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的にかつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。」と判示する。しかして「適切な問診を尽くさなかったため、接種対象者の症状、疾病その他異状な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、禁忌すべきものの識別判断を誤って予防接種を実施した場合において、予防接種の異状な副反応により接種対象者が死亡又は罹病したときには、担当医師は接種に際し、右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかったものと推定するのが相当である。」と判示している。

(ロ) 本件では体温測定、問診、視診、聴打診は一切行われていない。小川医師は単に概括的抽象的に「普段と変りないか」または「機嫌はどうか」と尋ねたにすぎない(第一審判決一〇七頁)。小川医師が「前に病気をしたことはありませんか」と尋ねていれば上告人靜子は当然段が前日まで風邪で服薬し、熱もあったことを告げたはずであり、そうすれば充分な予診が行われ精密検診も行われて、禁忌該当の疑いがあり種痘不適応者として当日の種痘は行われず、段の現在の後遺症の発生もなかった。原判決は予診に際し、被接種者の過去の健康状態よりみて種痘適応者としているが、接種当日の健康状態は接種前に充分な予診をして初めて判断できるものであり、予診をしないで接種当日の被接種者の健康状態を判定できるものではない。生後六ヵ月の上告人段には言葉もなく、異状を訴える力もない。しかし幼児には風邪ひきの状態がしばしば発生し或は継続していることは日常しばしばみられるところであり、医師としては常識に属する事項である。予診は接種直前の被接種者の健康状態を知り事故を防止するために医師の義務として定められた重要な手段である。本件の如く予診としての体温測定、問診、視診、聴打診が一切行われていないことは、そのこと自身が医師の過失であるというべきである。

(ハ) 右最高裁判決はかかる医師の義務として接種前の予診について判示しており、原判決が、被接種者段は種痘適応者であったから予診に不充分な点があっても種痘を行うことは正当であったとする点は右最高裁の判例に違反する。

第二、(イ) 実施規則四条は、接種前には、被接種者について体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によって、健康状態を調べ、当該被接種者が同条各号の禁忌事項に該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行ってはならない。と規定し、禁忌事項として同条一号は、有熱患者、心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾患にかかっている者、とする。

又、実施要領、第一の九項予診及び禁忌では次のとおり定めている。

(1)、接種前には必ず予診を行うこと(実施規則四条)。

(2)、予診は、先ず問診及び視診を行い、その結果異状が認められた場合には体温測定、聴打診等を行うこと。

(3)、予診の結果異状が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として当日は予防接種を行わず、る(ママ)よう指示すること。

(ロ) 原判決は実施規則四条一号の「その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかっている者」には、上告人段のように一時的に喉頭炎にかかり既に治癒したものは右の場合にあたらないと判示しているが、上告人段を予診もしないで既に治癒したものと断定したことが不当であることは前述したところより明らかであり、引いて同条項の解釈適用を誤っている。更に、原判決は実施要領第一の九項一号で接種前には必ず予診を行うこと(実施規則四条)と規定されていることには全くふれずいきなり実施要領第一の九項三号について「接種実施者に禁忌に該当するかどうかの判定が困難な場合には無理にいずれかに判断しなくともよく予防接種を行わないこともできる旨を明らかにしたに過ぎないと解するのが相当である。」と判示する。

原判決が、実施要領第一の九項一号の予診義務を明白に規定したのを全く無視した理由は理解に苦しむが同項三号は右一号の予診義務をつくした上でその結果異状を認めた場合の医師のとるべき方法として規定されていることは規定の文脈より明白である。そうとすれば同項三号の禁忌該当に判定困難な場合も予防接種を回避すべき義務があり例外的に実施規則四条但書の緊急時には予防接種を行ってもよい旨を明らかにしたものと解すべきが当然である。

原判決は実施要領の解釈を誤っている。

原判決は仮に右三号の定めが接種回避義務を定めているとしても上告人段は「禁忌に該当するかどうかの判定が困難なものにはあたらず、むしろ禁忌者でないことの判定ができたものである」と判示しているが予診義務を棚上げにして、予診は不充分であっても接種前日までの段の風邪の経過のみをみて種痘当日も禁忌該当でないとは到底断定しうるものではない。

原判決は実施要領の解釈を誤り、ひいて上告人段に不当にその適用をなしたものである。

四、上告人段に種痘による副反応として後遺障害が発生しても、予診の不充分な点と右副反応の発生との間に因果関係がないといえるか。

前記最高裁判決の要旨を再度引用すると右判決は「実施規則四条の禁忌者を識別するための適切な問診を尽くさなかったためその識別を誤って接種をした場合に、その異状な副反応により対象者が死亡又は罹病したときは、右医師はその結果を予見しえたのに過誤により予見しなかったものと推定すべきである。」とする。

原判決は「予診に不充分な点があったとしても、段の健康状態等に照らし、結局種痘を行うことは正当であったものであるから、右予診の不充分な点と副反応の発生とが結び付くことはありえず結局両者の間には因果関係がない」と判示しているが段の種痘当日の健康状態が予診もしないで種痘に適応していたとは到底いえないことは前述したとおりであり、右最高裁判決も先ず接種当日に適切な問診をすべきことを判示しており、実施要領第一、九項一号も接種前には必ず予診を行うことと規定しており、原判決が予診は不充分でもよいとする点は明らかに右最高裁及び実施要領に違反する。

充分な予診をしていれば、段の前日までの感冒の後遺症、または新たな疾病への罹患等があきらかになり、接種不適当(実施要領四条一項)として当日の接種は回避されたはずである。

小川医師は本件種痘に際し、予診の際充分な問診をせず体温測定、聴打診もおこなっていない。段は同医師より接種当日充分な問診を受け体温測定、聴打診または精密検診を受け、その結果禁忌該当の疑いがあり、種痘不適当として当日の種痘は回避されるべきであったのに、同医師は充分な問診もしないで漫然と種痘をするに差し支えないものと判断して本件種痘をなし、よって、段に現在の運動障害、知能障害を与えたものである。原判決は段の種痘当日の健康状態を誤認し、予診の不充分な点と副反応の因果関係を否定しているが、前記のとおり本件種痘の際の予診が行われていないことが本件副反応の発生の原因をなしていることは明白である。

従って、小川医師が本件種痘に際して充分な予診を行わなかった過失により上告人段に本件後遺障害が発生したものでその間の因果関係は当然肯定されるべきである。

第二点、原判決は、上告人らの原審における、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求に憲法二九条三項及び同法二五条一項の各規定に基づく各損失補償請求の予備的追加的な併合申立を不適法であるとしてこれを却下した。

しかし、これは最高裁判所の判例に違反し、前記憲法の各規定及び行政事件訴訟法一九条一項ひいて民訴法二二七条、同法二三二条一項、同一三二条の解釈適用を誤った。

(一)、原判決は「損失補償請求権は公法上の請求権であり、右憲法の各規定を根拠とする損失補償請求訴訟は、行訴法四条後段にいういわゆる実質的当事者訴訟にあたる」とし、「行訴法は、行政訴訟の特殊性にかんがみ、行政庁の訴訟参加(二三条)、職権証拠調べ(二四条)、取消判決の拘束力(三三条一項)等の特則を定め、かつ、行政訴訟を中心として関連請求の移送、合併等の規定を設けていて、基本となる請求とその関連請求との間に主従の区別をしており、関連請求が民事訴訟の場合は、これを主とし行政訴訟を従とすることは、行政訴訟手続を中心として規定する行訴法の予想するところのものではないというべきである。更に一般的に民事訴訟に行政訴訟を併合することを認めると、その審理手続がどのようになるのかとの問題があり、主たる民事訴訟の手続で審理がされることになると解するときは、そのような結果は行訴法の趣旨を没却することになり妥当でない。」として本件国家賠償請求に本件各損失補償請求を追加的に併合することは許されないとした。

又民訴法二三二条一項の規定による請求の追加的変更、同法一三二条の規定による弁論の併合も異種の手続にかかるものとしてこれを不適法とし、結局上告人らの各損失補償請求の予備的追加的併合申立を却下した。

(二) しかし、原判決が憲法二九条三項、同法二五条一項にもとづく請求が公法上の請求権であり、実質的当事者訴訟として行政訴訟によってのみ審理されるべきであると解した点が疑問である。

昭和五七年二月五日最高裁判所第二小法廷(昭和五五年(オ)第一一八五号)は、鉱業法六四条の規定によって鉱業権の行使が制限されても、これによって被った損失につき憲法二九条三項を根拠としてその補償を請求することはできない旨を判示して上告を棄却した判例であるが(最高裁判所判例集三六巻二号一二七頁)、その審理経過をみると一審の浦和地方裁判所熊谷支部に於いては原告の鉱業権侵害を理由とする被告の不法行為に対する損害賠償の請求であり原告は請求棄却を不服として控訴し、二審に於いて、特別犠牲による損失を理由として憲法二九条三項に基づき予備的請求の追加申立をなした。二審の東京高等裁判所は民事訴訟としてこれを併合審理し、鉱業権者が被るべき不利益は、正当な補償を必要とする特別の犠牲には当たらないとして控訴を棄却した。

これに対する上告審(前記事件)でも前記判例要旨の趣旨をもって上告を棄却したが、二審における憲法二九条三項に基づく損失補償請求の追加的併合申立については適法なものとして実質的審理を行っている。

従って本件における原判決の国家賠償請求に損失補償請求を追加的に併合することは許されないとする判示は右最高裁判決に違反するものである。

なお下級審においても多数の判決がかかる予備的追加的併合申立を適法として実質審理を行ってきた(添付の名古屋地方裁判所昭和五一年(ワ)第六一五号、同五三年(ワ)第八九八号、同五六年(ワ)第四四号、同五七年(ワ)第九六三号事件において原告ら訴訟代理人が同裁判所に提出した意見書参照)。

(三) 原判決が公法上の請求は実質的当事者訴訟として行政訴訟によってのみ審理すべきであるとする点が問題であって公法上の請求であっても請求の実質が個人の国家に対する個別的損害の填補である場合、その請求は損害賠償請求と同性質のものであって国の活動によって個人の被った特別の損失の填補を目的とする請求として共通の性格を有する。

かかる損失補償請求権は、国がその社会福祉政策の観点から制度化した救済制度による補償とは異なり国民各個人が国に対し、直接その完全な補償として損害の填補を権利として請求するものである(添付の東京高等裁判所昭和五九年(ネ)第一五一七号事件において、被控訴人ら訴訟代理人が同裁判所に提出した準備書面(四)参照)。

憲法二九条三項を根拠として国民各個人がかかる請求をなしえることは判例通説の認めるところである(最大判昭四三、一一、二七、最一判昭五〇、三、一三、最二判昭五〇、四、一一、最二判昭五七、二、五)。

行政庁の処分等の行政行為の違法に対して、その取消変更を求める抗告訴訟が典型的な行政訴訟といわれるが、本件損失補償請求がこれと異なることは明らかである。損失補償請求には違法又は無過失の公権力の行使があるのみで行政庁の処分等は存在しない。行政事件訴訟法が特則として定め、原判決も引用する同法二三条の訴訟参加も、二四条の職権証拠調べも、三三条一項の取消判決の拘束力も、本件の如き損失補償請求訴訟においては全く考慮する必要はない。本件での審理の内容は国の各個人に対する責任の有無、及び損害額を個別的に確定するだけで足りる相対的なもので、他の行政機関にたいし、判決の拘束力を認める必要は全くなく、従って他の行政庁の訴訟参加も必要性がなく職権証拠調べの必要もない。

このような損失補償請求にかかる訴訟は最早行政訴訟としての特質は失っており通常の民事訴訟事件として審理の対象となるものと考えて何らの不都合もない。

憲法二九条三項、同法二五条一項にもとづく請求が公法上の請求であるとしてもその審理手続が必ず行政訴訟手続によらなければならないとする必要は少しもなく、民事訴訟手続で審理し得るものは民事訴訟手続で審理したとしても少しも差し支えないものである。

目的は被害者の救済と被害の公平負担の原則であり、公法上の請求であるから行政訴訟として民事訴訟に併合することを許さず別訴を提起せよというのは、右の審理対象の実質的同一性を看過し訴訟経済に反し、単に形式論理のみに走るものであって、憲法の基本的人権享有の規定にも反するものである。

前記最高裁の判決、及び下級審判決の多くが何らの疑問も呈することなく憲法二九条三項にもとづく損失補償請求を民事訴訟として併合審理しているのはこのような実質的考慮によるものであることは明らかである。

(四) 原判決は行政訴訟と関連請求たる民事訴訟との間に主従の区別を設け、行訴法は行政訴訟を主とし、関連する民事訴訟を従とした訴訟形態のみが認められ、行訴法の予定する形態での追加的併合の場合は、行訴法の手続のみで審理がなされるべきであるとする。

しかし、本件損失補償請求が行訴法の定める行政訴訟として審理しなければならない必然的理由がないことは前述のとおりであるから原判決の説示は的はずれである。

行政事件訴訟法が取消訴訟に関連請求たる民事訴訟を併合することを認め、この場合関連する民事訴訟も行訴法の手続に乗って審理がなされることは原判決説示のとおりであろうし、又行訴法一九条一項は関連請求たる民事訴訟を主とし取消訴訟たる行政訴訟を従として追加的に併合する場合は類推適用されるべきでないとするのもそのとおりであろう。

しかし本件の損失補償請求を行訴法四条後段の実質的当事者訴訟にあたるとし、行訴法一九条一項の類推適用の可否を論ずることが誤りであることは前述したところにより明白である。

(五) 本件損失補償請求の予備的追加的併合の適否は民訴法二二七条(訴の客観的併合)同法二三二条一項(訴の変更)の要件を充足しているかどうかが問題になるにすぎない。民訴法二二七条は同種の訴訟手続による場合に訴の併合を認め、民訴法二三二条一項は請求の基礎に変更なき限り口頭弁論の終結に至るまで訴の変更を認める。

損失補償請求が民事訴訟により審理されることは最高裁判決を始め多数の下級審判決が認め審理が行われてきており、実質的にも民事訴訟により審理されて一向に差し支えないことは前述のとおりであり請求の基礎の同一性が認められることも明白である。

(六) 従って原判決が本件損失補償請求の予備的追加的申立は、行訴法一九条一項の規定の類推適用を根拠として民事訴訟である本件国家賠償請求に当事者訴訟である本件各損失補償請求を追加的に併合することは許されず民訴法二三二条一項の規定による訴えの追加的変更も許されないとし、又民訴法一三二条の規定による弁論の併合もできないとして、上告人らの予備的追加的申立を却下したのは、憲法二九条三項、同二五条一項の各規定による請求に関する訴訟手続を誤解し、行訴法一九条一項ひいて、民訴法二三二条一項、同一三二条の各規定の解釈適用を誤ったものである。

以上の原判決の憲法二九条三項、同法二五条一項、行訴法一九条一項、民訴法二三二条一項、同一三二条予防接種実施規則、予防接種実施要領の解釈適用の誤り、及び最高裁判例に対する判例違反が原判決に影響を及ぼすことは明白である。

以上をもって上告の理由とする。

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